思うにカメラマン稼業は

廃れて。いなくなってしまう仕事かもしれない。 感性はあって当然、それより進行や監督能力を求められる。 写真家などと呼ばれなくてよい。 「カメラマンさんにまず覗いてもらってから決めましょう」 というものです。 テスト撮影。

久しぶりに海に出る。天気も快晴。今日は良い写真が撮れるぞ。 と期待して防水ペリケースを開けるとカメラがない。 交換レンズばかり3本あるのみ。 カメラ本体を置いてきてしまった。 昼食に上陸し青空を見てすごす。 携帯で撮る。

時間が止まったと思った

確かに写真は時間を凝縮する。1/30秒で撮った写真には1/30秒の時間がある。 今日は撮影で時間が遅く感じた。 10時10分から進みが遅い。時が流れない感覚。 僕の腕時計が壊れていることを指摘されるまで気が付かなかった。

一生懸命に撮った

一日花撮影。撮影に集中しすぎると右のまぶたが腫れてしまう。 眼は開かなくなるし.苦しい。 これも仕事だ。集中力が無くなるか自分に見切りをつけるときが現役廃業だと思う。 が。そんな集中力なくして良い写真が撮れれば良いのだ。

コードだってある

撮影の準備。久しぶりに大型ストロボを使う。 大型なんて断る必要はなかった。かってはストロボはイコール、大型ストロボだった。 今では機材間のやりとりの多くは無線で接続する。でも、大型ストロボはやはりシンクロコードが良い。

晴れてしまった

天気図は読んだ。予報も見た。気象概況も聞いた。 今日は曇りまたは多少の雨のはずだった。 建築の撮影のはずでありました。 青空を見て何度もぼやく。 撮りに行きたかった。 テスト撮影をした。 テーマは「宇宙」。

写真は故人を偲ぶ指標

この仕事を始めたころは考えもしなかった。少なからぬ言い切れることのひとつに「写真は故人を悼む」ことの出来るメディアなのだ。 代わりに肖像画とか遺品(僕の場合はパドルかな)など置いても、きっと死んでしまった本人以外は感情的...